起業家とは?外科医が開業し、社会を変えるという選択

起業家とは、顧客の変化を設計し、
その積み重ねで社会を変えていく人だと私は考えている。
外科医として起業を選んだ経験から、起業家の本質を考える。

目次

起業家とは?価値、顧客、そして社会を変える力

私は外科医であり、医療法人の理事長でもある。

手術台に立つとき、私は一人の職人だ。
スタッフとの面談や診療運営の調整を行うとき、私はマネージャーとして現場を束ねる役割を担う。
そして経営会議に向かうとき、私は起業家として事業の方向を問い直さなければならない。
その三つの間で、長い間揺れ続けてきた。

そのなかで、そもそも起業家とは、何者なのかを考えるようになった。
価値を創り、顧客を生み出し、社会を変えていく
その力の本質は、どこにあるのかを。

起業家の本質は「不確実性を引き受ける覚悟」にある

起業家というと、ゼロから革命的な何かを生み出す人だと思われがちだが、それは誤解である。
既存のものを新しく組み合わせ、顧客に届く価値に変換する力こそが必要なものだ。

起業家を語るとき、もう一つ欠かせない要素がある。
それは、不確実性を引き受ける覚悟だ。

自ら何かを創造するということは、
その結果に対する責任とリスクをすべて自分で背負うということである。
うまくいくかどうか、誰も保証してくれない。
市場が受け入れてくれるかどうか、資金が続くかどうか、仲間が集まるかどうか。
すべてが不確かなまま、前に進む決断を迫られる。

もちろん、失敗してもやり直せるし、経験は次に活かせる。
しかし起業当初は、事業と個人がほぼ一体になる。
会社の信用は自分の信用であり、事業の借金は自分の借金だ。
法人を設立しても、個人保証などを通じて、
精神的・経済的には事業と自分の間に明確な境界線を引けないのが実態である。

その近さが、重荷になることもある。
しかしその近さこそが、起業家を突き動かす熱量の源でもある。
自分のすべてを懸けているからこそ、諦めずに考え続けられる
その覚悟が、雇用者と起業家を分かつ最も根本的な違いだと思う。

職業選択としての起業を考える

起業は職業選択のひとつだと、私は思っている。

会社員として組織に属する道と、自ら場所を作る道。
どちらかが優れているのではなく、
何を大切にして生きるかによって、選ぶべき道が違う

会社員は、給与という形で安定を得る代わりに、事業のリスクを組織に委ねる。
起業家は、その不確実性をすべて自分で引き受ける代わりに、設計の自由を手にする。
どちらを選ぶかは、向き不向きではなく、自分が何に価値を置くかの問題だ。

では、起業に向いているのはどんな人だろうか。

「アイデアがある人」でも「行動力がある人」でもなく、
私は「届けたい変化を持っている人」だと思う。

何を作るかより、誰の何を変えたいか。
その問いに自分なりの答えを持っている人は、困難な局面でも立ち戻る場所がある。
逆に、その答えがないまま起業しても、最初の壁で方向を見失いやすくなる。

私自身が起業を選んだのも、「経営者になりたい」からではなかった。
最高の手術を患者さんに届けるために、自分で環境を作るしかなかったからだ。
動機は経営ではなく、医療の質だった。

職業を選ぶとき、「安定か挑戦か」という問い方をよく聞く。
しかし本当の問いは、
「自分が届けたい変化は何か、そのためにどんな場所に立つべきか」ではないだろうか。

起業はその答えのひとつに過ぎない。
しかしその答えを持っている人にとっては、これほど自分らしい道はないとも思う。

職人・マネージャー・起業家〜院長が担う三つの役割〜

起業を選んだ人が直面するのは、起業家になることではなく、
三つの異なる役割を一人でこなすという現実だ。

経営コンサルタントのマイケル・ガーバーは、その著書でこう指摘している。
多くの事業主は職人として優れているがゆえに起業する。
しかし事業を動かすには、職人・マネージャー・起業家という三つの役割が必要だ、と。

職人は今を生きる。
目の前の仕事に集中し、技術を極めることに価値を置く。

起業家は未来を見る。
まだ存在しない変化を夢想し、そこへ向かって動き続ける。

マネージャーはその二つをつなぐ。
昨日の成果を今日に繰り返し、今日の実績を明日に積み上げる仕組みを作る存在だ。

スタッフを採用し、育て、チームとして機能させる。
患者動線を設計し、診療の質を安定させる。
起業家が描いたビジョンを、現場が実行できる言葉と手順に「翻訳」する。
それがマネージャーの仕事である。

私が最も苦手としているのは、実はこのマネージャーとしての役割かもしれない。
手術台では迷いがない。
ビジョンは、常に頭の中にある。
しかし仕組みを作り、スタッフを育て、日々の運営を安定させること。
そこに最も多くのエネルギーを費やしながら、最も「自分らしくない」と感じる瞬間がある。

しかし、マネージャーがいなければ、どれほど優れた職人の技も、
どれほど明確な起業家のビジョンも、組織として機能しない。
マネージャーとは、起業家の夢と職人の腕を、持続可能な形でつなぐ接着剤だ。

院長はこの三つの役割を一人で引き受け続けることになる。
それは重荷だが、三つすべてを知っているからこそ、経営の判断に深みが生まれる。

起業家の仕事の核心は「顧客の変化」にある

では、「届けたい変化」とは具体的に何を指すのだろうか。
サービスや商品を提供することだろうか。

経営学者レビットはこう言った。
「顧客はドリルを買いたいのではなく、穴を開けたいのだ」と。

実際に患者さんから
「こんなに負担が少ないとは思わなかった」「もっと早く受ければよかった」
という言葉をいただくことがある。
この言葉こそが、私たちが本当に届けたかった「変化」の正体だと思っている。

商品は手段に過ぎない。
顧客が求めているのは、商品がもたらす状態の変化だ

私のクリニックで言えば、患者さんが求めているのは「腹腔鏡手術」ではない。
「鼠径ヘルニアの症状と不安から解放され、翌日には日常に戻れる状態」である。
その変化を届けられるかどうか。
それが起業家の本質的な問いになる。

価値は届かなければ存在しないのと同じ

価値があっても、顧客に届かなければ何も起きない。
この「変換」に失敗している事業は、世の中にたくさんある。

その壁は三つある。

認知の壁:顧客が価値の存在を知らない。知らないものは求められない。
・理解の壁:知っていても、自分ごとにならない。専門家の言葉と、顧客が受け取れる言葉の間には深い溝がある。
・行動の壁:理解しても、動けない。コスト・不安・現状維持バイアスが立ちはだかる。

起業家の仕事は、価値を創ることだけでなく、この三つの壁を突破することだ。
どれほど優れた商品も、届かなければ存在しないのと同じである。

顧客の変化が積み重なって、社会が変わる

一人の顧客の状態が変わる。
また一人が変わる。
それが積み重なったとき、社会の常識そのものが書き換わる。

当院では年間約500件の日帰り手術を行っている。
500人の人生に、少しだけ関わる。
それを10年続ければ5,000人、20年続ければ1万人になる。

社会全体を一度に変えることはできなくても、
一人ひとりの人生を少しだけ良くすることの積み重ねが、
いずれ医療の常識そのものを変えていく、
そう信じている。

「ヘルニア手術には入院が必要だ」という社会認識が、少しずつ変わっていく。
日帰りで受けられる、安全で質の高い手術があると知られていく。
その変化の積み重ねが、医療の在り方を変えていく。

利益は目的ではなく、結果である

「事業の目的は利益の追求だ」という言葉に、私は長い間抵抗を感じてきた。

利益のために手術件数を増やすこと、利益のために患者さんとの時間を削ること。
そういった選択は、医師としての私の理念から遠ざかるものだ。

医療法人は、株式会社とは異なり、利益の最大化だけを追い求める組織ではない。
もちろん適切な利益は必要である。
それがなければ、スタッフを守ることも、新しい医療機器を導入することも、質の高い医療を継続することもできない。
しかし利益そのものが目的化した瞬間、何のために医療を行っているのかが見えなくなる。

ドラッカーはこう言っている。
「利益は事業の目的ではなく、事業を継続するための条件である」と。

利益とは、価値を届けた結果として生まれるものだと、私は考えている。
最高の手術を届けることに集中すると、その先に自ずと利益はついてくる。
利益を追いかけるのではなく、患者さんへの価値提供を追いかける。
その順序を守ることが、事業の本質を守ることだと思っている。

事業の拡大だけが成功ではない

事業を拡大する他のクリニックが気になっていた時期があった。
しかし自分の信念は、そこにはなかった。

規模を拡大している他のクリニックを見ると、正直なところ刺激を受けることがある。
「もっと成長できるのではないか」「競争に負けてしまうのではないか」そんな気持ちが湧くこともある。
しかし、規模の大きさと医療の質は、必ずしも同じではない。

経営者には二種類いる。
スケールを追う経営者と、深さを極める経営者だ。
前者は仕組みで規模を作り、後者は質で信頼を作る。優劣の問題ではなく、目的によって選ぶべき道が違う。
私は後者であり、事業を大きくすることよりも、一人ひとりの患者さんに最高の手術を届けたい。
それは「事業を拡大できない経営者の言い訳」ではなく、「自分の意志で選んだ道」だと今では思っている。
規模で選ばれるのではなく、質で選ばれるクリニックでありたい。
その思いは、これからも変わらないと思う。

ただ、深さを極めることと、影響を広げることは、矛盾しない。
事業の規模(診療日数、手術件数、拠点の数)を拡大しないことと、
自分が掘り進めてきた経験や判断を次の世代に伝えていくことは、実は別の軸の話だ。
執刀という行為そのものは、これからも自分の手で続けていく。
一方で、その判断を次の世代の外科医に伝えていくことも、
もう一つの起業家的な仕事だと感じている。
一人の患者さんを変える力と、その力を持つ外科医を増やす力。
どちらも「手術によって人を変えたい」という同じ動機から生まれており、
その配分はキャリアの中で少しずつ動かしていくものだと考えている。

起業家になるために必要なこと

起業家になるために必要なことは三つあると思う。

何のために事業をするのかという動機を問うこと。
良いものを作るだけでなく、価値を届けるまでの設計を行うこと
そして顧客一人の変化の先にある、自分が変えたい社会の状態を思い描くことだ。

まとめ

私はいまだに、職人・マネージャー・起業家という三つの役割の間で揺れている。
しかしその葛藤は、弱さではないと思うようになった。
「最高の手術を患者さんに届けたい」という動機が、
どの役割の判断も、常に正しい方向に引き戻してくれるからだ。

外科医が社会を変えられるか。
その答えは、一人の患者さんへの変化を積み重ねることの先にあると、今は感じている。
事業において最も大切なのは、「どれだけ大きくなったか」ではなく、
「何のために存在しているのか」を忘れないことだ。
起業家とは、特別な才能を持つ人間ではなく、
不確実性を引き受け、顧客に届けたい変化を持ち、そのための場所と仕組みを自ら作る覚悟を持った人のことだと思う。

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この記事を書いた人

松下 公治のアバター 松下 公治 ヘルニア外科医

医療法人博文会 理事長・埼玉外科クリニック 院長
内視鏡外科技術認定医(ヘルニア)
鼠径ヘルニア手術2,500件超・日帰り手術6,000件超
腹腔鏡による鼠径ヘルニア日帰り手術の質向上に取り組む

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