「念のため入院」は誰のためか|患者・医師・制度、三つの安全のずれ

「安全のため」という言葉は、思考の終点ではなく、出発点であるべきだ。

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「念のため、入院しておきましょう」

「念のため、入院しておきましょう」

外科医として、私はこの言葉を何度口にしてきただろうか。

患者さんはうなずき、家族は安堵し、
その場の空気は、すっと落ち着く。

だが今になって思う。
あの言葉は、誰の安全を守るための言葉だったのか。

「安全」は、誰の視点で語られているか

医療の現場で「安全」という言葉は、
ほぼ毎日、当たり前のように使われる。

安全な手術。安全な管理。安全を最優先に。

誰も反対できない、正しい言葉だ。

だがその「安全」が、
誰の視点で語られているのかは、
意外なほど問われてこなかった。

患者の安全、医師の安全、制度の安全

患者さんにとっての安全とは、何だろうか。

合併症が起きないこと。
痛みが少ないこと。
不安なとき、相談できること。
そして、生活が大きく乱されないこと。

一方で、医師にとっての安全はどうだろう。

責任の所在が明確であること。
想定外の事態に備えられていること。
万が一のとき、「やるべきことはやった」と言えること。

さらに、制度としての安全もある。

ガイドラインに沿っていること。
前例があること。
記録として残せること。

これらはすべて「安全」だ。
だが、それぞれが同じ方向を向いているとは限らない。

「念のため」という判断の引力

「念のため入院させておいた方が安全だ」

この判断には、強い引力がある。

患者さんを安心させ、家族も納得し、
医師自身も「間違っていない選択をした」と感じられる。

だがその引力の正体は、何だろうか。

患者さんの安全への配慮か。
それとも、
「帰宅後に何か起きたとき、どう説明するのか」 という、
医師自身の不安を和らげるための選択か。

多くの場合、その両方が混じり合っている。

それ自体は、責められることではない。

だが、その混在が自覚されないまま、
「安全のため」という言葉だけが独り歩きするとき、
見えにくい問題が生まれる。

同じ力を持つ言葉が、医療にはいくつもある。

「安全のため」と言えば、立ち止まらずに済む。
「標準的な治療です」と言えば、思考が止まる。
「説明しました」と言えば、判断は終わったことになる。

そうした言葉の影に、誰にも引き受けられない判断が、静かに積み重なっていく。

積み重なる「念のため」が現場に残すもの

「念のための入院」が積み重なると、何が起きるか。

病棟は常に満床に近づく。
医師と看護師は余裕を失い、
本当に手厚いケアが必要な患者さんへのリソースが削られていく。

夜間の呼び出しが増え、
対応するスタッフの疲弊が蓄積される。

「念のため」の判断が、
現場のどこかに負担として積み重なっていく。

その負担を誰が引き受けているのかを、
立ち止まって考える機会は、
現場ではほとんどない。

誰か一人が悪いわけではない

問題は、誰かが悪いという話ではない。

医師は患者さんを守ろうとしている。
看護師は現場を回そうとしている。
制度は医療全体を守ろうとしている。

それぞれが、それぞれの立場で、
「安全」を最優先に判断している。

ただ、その「安全」の定義が、
少しずつズレたまま重なっている。

そのズレが、じわじわと現場の負担として現れる。

日帰り手術が教えてくれたこと

日帰り手術を始めてから、
私はこのズレをより鮮明に意識するようになった。

「入院しない」という選択は、一見すると不安を呼ぶ。

だが実際には、手術の安全性は、
入院の有無だけで決まるものではなかった。

入院という形を取っていても、備えが不十分であれば安全とは言えない。
逆に、備えが整っていれば、
日帰りでも問題なく経過する患者さんは少なくない。

安全をつくっていたのは、場所ではなく、
手術の前後に何を用意しておくかという設計だった。

三つの安全を、分けて考える

「安全のための入院」という言葉を、私は否定したいわけではない。

入院が必要な患者さんは確かにいる。
入院によって守られる安全も、確かにある。

ただ、
患者さんにとっての安全と、
医師にとっての安全と、
制度にとっての安全を、
分けて考える習慣が、
現場にはまだ十分に根付いていないと感じる。

「安全のため」を出発点にするということ

「安全のため」という言葉が、
思考の終点になるのではなく、
思考の出発点になるとき、
医療は少しずつ変わっていけると思っている。

手術を前にした患者さんが「安全」を求めるのは、当然だ。

だからこそ私は、
「安全とは何か」を自分の言葉で説明できる外科医でありたいと思っている。

「入院していれば安全です」ではなく、
「この設計で、この準備で、安全を確保しています」と。

その言葉を持てるかどうかが、
判断を引き受けるということの、具体的な意味だと感じている。

まとめ

「安全のため」という言葉は、正しい。
正しいからこそ、そこで思考が止まりやすい。

患者さんにとっての安全。
医師にとっての安全。
制度にとっての安全。

この三つは、重なることもあれば、ズレることもある。
ズレたまま一語にまとめられたとき、
その負担は現場のどこかに、静かに積み上がっていく。

安全とは、場所ではなく設計だ。
何を想定し、何を準備し、どこまで説明したか。
その積み重ねが、安全をつくる。

だから私は、「念のため」と口にする前に、
一度だけ立ち止まりたい。

いま自分は、誰の安全の話をしているのか。

その問いを持ち続けることが、
判断を引き受けるということの出発点である。

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この記事を書いた人

松下 公治のアバター 松下 公治 ヘルニア外科医

医療法人博文会理事長・埼玉外科クリニック院長
内視鏡外科技術認定医(ヘルニア)
執刀5,500件以上(うち鼠径ヘルニア2,500件以上)
外科医と経営者の両面から、日帰り手術のあり方を問い続ける

プロフィール詳細

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