手術を重ねて分かったのは、上達とは「わからなさ」が消えることではなく、それと向き合い続けることだった。
手術は、繰り返すほど上手くなる。
これは事実だ。
手技は積み重なり、判断は速くなる。
想定外の場面にも、動じなくなる。
だが、数千件の手術を経て、
私が最も強く感じるようになったのは、
技術の熟練とは別のことだった。
手術は、繰り返すほど、
わからないことが増える。
正解を再現しようとしていた頃
外科医になりたての頃、
手術は「正解を目指すもの」だった。
指導医の手技を再現する。
ガイドラインの手順に沿う。
前例と同じ判断をする。
うまくいけば自信になり、
うまくいかなければ技術の問題だと考えた。
あの頃の私は、
判断の正しさよりも、
手技の正確さばかりを見ていた。
同じ手術は、一度もない
件数が増えるにつれて、見え方が変わり始めた。
同じ術式、同じ病名、同じ手順。
それでも、手術は毎回違う。
癒着の具合。
組織の厚さや脆さ。
体型と腹圧。
鼠径ヘルニアの腹腔鏡手術は、
術式としては標準化されている。
だが、その中にも無数の判断が潜んでいる。
剥離をどこまで広げるか。
メッシュをどう固定するか。
この患者さんの解剖は、どこが普段と違うか。
経験を積めば、これらの判断の精度は上がる。
だが同時に、
「これで十分か」という問いも深くなっていった。
わからないことが増えたのではない。
わからないことが、見えるようになったのだ。
想定外は必ず来る
数千件が最初に教えてくれたのは、
想定外は必ずやって来る、ということだった。
どれだけ準備しても、
どれだけ経験を積んでも、
手術室から想定外はなくならない。
この事実を受け入れてから、
術前の準備が変わった。
うまくいく手順を考えるだけではない。
何が起きたら、どう動くか。
それを、より具体的に想定しておくようになった。
想定外をゼロにすることはできない。
できるのは、想定外に出会ったときの自分を、
あらかじめ準備しておくことだけだ。
患者さんは「類型」ではない
件数が増えると、
患者さんを類型で見る傾向が強まる。
この年齢層なら、この経過をたどる。
この体型なら、この術式が向いている。
この既往歴なら、この点に注意する。
それは臨床判断として必要なことだ。
だが、類型に当てはめた瞬間、
その人固有の情報を取りこぼす危うさが生まれる。
だから私は、
「この人は、どんな生活をしているのか」
という問いを、意識して立てるようになった。
手術室に入ってくるのは、
日常の文脈を持った一人の人間だ。
手術が技術的にうまくいくことと、
その人が元の生活に戻れることは、
同じではない。
判断は、なぜ言葉にすべきか
経験が浅い頃は、
判断を言葉にする必要があまりなかった。
上級医が決め、自分は従う。
理由を問われることも少なかった。
判断を引き受ける立場になってから、
言語化は避けられなくなった。
なぜ、この患者さんを日帰り手術の適応と判断したのか。
なぜ、この術式を選んだのか。
なぜ、このタイミングで手術を勧めたのか。
言葉にすると、判断の根拠が明確になる。
同時に、自分の思考の盲点も見えてくる。
言語化されていない判断は、次の学びにつながらない。
うまくいっても、いかなくても、
理由が分からないまま次へ進んでしまう。
これは、経営の判断でも変わらなかった。
クリニックの方針を決めるときも、
言葉にできない判断は、組織の誰とも共有できない。
思いどおりにいかなかった手術から、何を学ぶか
手術には、思い描いたとおりにいかない場面がある。
技術のズレもあれば、判断のズレもある。
大切なのは、それをどう扱うかだ。
件数が少ない頃は、
それを個人の問題として抱えていた。
技術が足りなかった。
判断が甘かった。
件数が増えるにつれて、
それは「設計のヒント」に見えるようになった。
どこでズレが生じたのか。
術前の想定に、何が足りなかったのか。
責任を追及するのではなく、構造を見直す。
その視点に立ったとき、
うまくいかなかった経験は、
次の手術を支える知見に変わった。
慣れてよいもの、慣れてはいけないもの
最も意外だったのは、
数千件を経ても、手術には慣れないということだった。
正確に言えば、
慣れる部分と、慣れてはいけない部分がある。
手順には慣れる。
判断も速くなる。
だが、
「この患者さんの手術がうまくいくかどうか」という緊張感は、
薄れてはいけない。
その緊張感が、準備を怠らせず、
集中を保たせ、想定外に備えさせてくれる。
慣れすぎた外科医が最も危ない。
よく言われるこの言葉の意味が、
件数を重ねるほど、体感として分かるようになった。
まとめ
数千件の手術が教えてくれたのは、
技術の完成ではなかった。
判断し続けることの重さと、
問い続けることの必要性だった。
手術は、うまくなるほど、わからないことが増える。
だが、そのわからなさと向き合い続けることが、
外科医として成熟するということなのだと、
今は思っている。
手術台の上で判断を引き受けるとは、
正解を知っていることではない。
わからないまま、それでも決める。
その責任を、自分のものとして持ち続けることだ。
