失敗を恥ではなく、データとして見る。
そう思えたとき、動き出すことの重さが変わった。
「いつか」は、待っていても来ない
いつかやろう、と思っていることがある。
もう少し準備ができたら。
時間に余裕ができたら。
自信がついたら。
私にも、長い間そう思い続けていたことがあった。
だが、気づいた。
いつか、は、待っていても来ない。
「いつかやる」の正体
いつかやる、の正体は何なのか。
準備不足への不安だけではない。
失敗への恐れだけでもない。
もっと正直に言えば、
やらなくていい理由を、探し続けている状態だ。
準備という名の先送り。
完璧という名の回避。
謙虚という名の不作為。
そのことに気づくまでに、
私はずいぶん時間がかかった。
主体的に生きるとは、自分で選ぶこと
主体的に生きる、という言葉がある。
よく、積極的に行動すること、と受け取られる。
だが、それは少し違うと思っている。
主体的に生きるとは、
状況に反応して動くのではなく、自分の意志で選ぶことだ。
求められるから動くのではない。
自分が動くと決めたから動く。
断れないから引き受けるのではない。
価値を感じるから引き受ける。
その違いは、外から見れば同じ行動に見えることもある。
だが、積み重なったとき、まったく違う場所に辿り着く。
今日の行動のうち、自分がやると決めたものは、いくつあったか。
仕方なく、という言葉を、何度使ったか。
それを振り返るだけでも、自分が今どちらに立っているかが見えてくる。
完璧な準備は、整わない
動き出そうとするとき、多くの人は完璧な準備を求める。
だが、完璧な準備が整う日は来ない。
手術も同じだ。
術前の準備やシミュレーションは欠かせない。
だが、実際に手を動かさなければ分からないことが、必ずある。
どこで迷うのか。
どこが難しいのか。
やってみて初めて、見えてくる。
それは、仕事でも人生でも変わらないと思う。
小さく試し、修正する
そこで意識するようになったのが、小さな実験を積み重ねるという発想だ。
大きな一手を打つのではない。
小さく試して、結果を見て、修正する。
うまくいったものは育て、そうでないものは手放す。
そう考えるようになってから、
動き出すためのハードルが大きく下がった。
これで人生が決まる、という重さではなく、
試してみよう、という軽さで始められる。
始めることと、完成させることは、別のことだ。
まず始めなければ、何も見えてこない。
失敗は、目を背けなかったときだけ経験になる
失敗を、どう見るか。
ここが、主体的に動けるかどうかの分かれ道だと思っている。
失敗を恥と見れば、
失敗しないために、動かなくなる。
失敗を経験と見れば、
そこから学び、次に活かせる。
外科医としての修練の中で、失敗のない成長はなかった。
思うように縫えなかったこと。
判断が後手に回ったこと。
想定していない事態に、うまく対応しきれなかったこと。
そのたびに、何かが見えた。
次はこうする、という具体的な変化が生まれた。
ただし、失敗が経験になるのは、
そこから目を背けなかったときだけだ。
開院して、やってみて分かったこと
経営でも、同じだった。
クリニックを開いた当初、うまくいかないことが山のようにあった。
情報の届け方が、まったく分かっていなかった。
スタッフとのあいだで、認識のずれが生まれた。
仕組みがなかったために、同じ問題が何度も繰り返された。
それらはすべて、やってみて初めて分かったことだった。
計画の段階では見えなかった現実が、
動き始めることで、ようやく見えてきた。
失敗を恐れて動かなければ、
その現実を知ることすら、できなかった。
十年後の自分は、何と言うか
いつかやる、を手放せたのは、
一つの問いに気づいたからだ。
十年後の自分は、今の自分に何と言うだろうか。
準備が整うのを待ち続けた十年後の自分は、どこに立っているのか。
小さな実験を積み重ねてきた十年後の自分は、どこに立っているのか。
答えは、明らかだった。
まとめ
主体的に生きることは、
勇気のある人だけに許された生き方ではない。
失敗しても、それは次の判断の材料になる。
その小さな信頼を、自分に持てるかどうかだ。
失敗は恥ではなく、データだ。
この方法ではうまくいかなかった、という情報にすぎない。
そう思えるようになったとき、
動き出すことの重さが、少し軽くなった。
完璧でなくていい。
準備が整っていなくていい。
小さく試し、失敗から学び、また試す。
主体的に生きるとは、その繰り返しの中にあるのだと思う。
