クリニックは大きくすべきか|専門特化で質を研ぎ澄ますという経営判断

クリニックを大きくするより、専門を絞って質を研ぎ澄ます。
それが、私が選んできた経営判断だ。

目次

「組織のことを考えろ」と言われた日

以前、尊敬する先輩外科医にこう言われたことがある。

「お前ももうそろそろ、組織のことを考えろ。一人で手術していても、社会的なインパクトは出ない」

間違ったことは言われていないと思う。

一人の外科医が執刀できる数には限りがある。
医師を集め、拠点を広げれば、より多くの患者さんに手術を届けられる。
医療を変えるには、組織の力が要る。
理屈としては、よくわかる。

それでも私は、開業してから一度も、規模を広げる方向に舵を切っていない。
手術は1日3件まで。
すべての手術を、私が執刀している。

先輩の言葉に、私はどう答えるのか。
ここで整理しておきたい。

規模を広げる道は、いくつもある

クリニックを大きくする方法は、一つではない。

診療日を増やす。
手術件数を増やす。
医師を増やす。
分院を出す。
診療の範囲を広げる。

どれも、医療機関にとって自然な成長の形だ。
地域の医療を支えるうえで、規模が力になる場面は確かにある。

だから、大きくすることが悪いとは思わない。
問題は、何のために大きくするかだ。

実際にしてきたのは、絞ることだった

振り返ると、規模を大きくするかどうかは、何度も考えてきた。
それでも、実際に選んできたのは逆の方向だった。
診療の範囲を、絞ってきたのだ。

開業当初は、虫垂炎やヌック管水腫の手術も行っていた。
どれも、外科医としてずっと関わってきた病気だ。
それでも、鼠径ヘルニアに絞ることにした。

今は、鼠径ヘルニア以外の診療を行っていない。
外傷の処置も、内視鏡検査も、健康診断も、予防接種もしていない。
できないからではなく、しないと決めている。

一つの病気に絞ると、すべてをその病気に合わせて設計できる。
手術器具、手術室の設備、麻酔の体制。
院内の導線、予約の仕組み、術前術後の説明。
約1時間の手術のために、診療全体を組み立てることができる。

同じ手術に向き合い続けると、見えるものも変わってくる。
以前は気づかなかった小さな違いが、気になるようになる。
違いに気づけば、また手順を見直す。
その繰り返しが、専門性になっていった。

絞るほど、診療の純度は上がる。
純度が上がるほど、質は研ぎ澄まされていく。

広げるか、深めるか。
私は、深めるほうを何度も選んできたのだと思う。

一人の大将が働く店

食事に行くとき、私は一人の大将が黙々と働く店が好きだ。

お弟子さんがレシピ通りに作る料理も、もちろん美味しい。
それでも、カウンターの向こうで一人集中している人の料理を食べたくなる。

大将は、今日の魚と今日の客に向き合って、その場で判断している。
その判断までは、レシピに書けない。

手術も同じだ。
術式は標準化されていても、目の前の体は教科書通りではない。
脂肪の厚さ、組織の硬さ、癒着の程度。
一人ひとり、すべてが違う。

その違いに向き合う判断は、言葉にしきれない。
言葉にしきれないものは、人に渡すことも難しい。

三件目と五件目の違いを、患者さんは知らない

手術を1日3件までとするのは、開院当初から変えていない方針だ。

三件目の手術と、五件目の手術。
その質の差を、患者さんが知るすべはない。

だが、執刀する私は、その違いを知っている。
集中力は無限ではない。
経験してきたからこそ、よくわかる。
一日の終わりに近づくほど、判断の余白は少しずつ削られていく。

できることと、やることは違う。
件数を増やすことは、いつでもできる。
それでも、違いを知っている側の人間として、件数に線を引く。
それが執刀医の責任だと考えた。

もし自分が手術を受ける側だったら、と考える。
執刀医にとって今日何件目の手術なのか、気にならないとは言えない。
その感覚が、1日3件という線の根拠になっている。

日帰り手術は、手術室の外で決まる

件数を決めるとき、もう一つ考えたことがある。
日帰り手術は、手術だけでは成り立たないということだ。

術前の診察と準備。
麻酔の管理。
術後の観察と、帰宅してよいかの判断。
家に帰ってからの相談と、術後の診察。

どれか一つが崩れても、日帰り手術は成り立たない。

予約や説明の流れのように、仕組みにできるところは仕組みにする。
そうすれば、誰が対応しても質がそろう。
ただ、手術中の判断と、全体を見渡す目だけは、人に渡せない。

規模の上限は、その目が届く範囲で決まる。
今の私にとって、それが1日3件だった。

規模を追わないことの代償

規模を追わない選択には、当然、代償がある。

まず、収益には天井がある。
1日の手術件数を決めれば、売上の上限もほぼ決まる。
診療の範囲を絞った分、収益の柱も一つしかない。
鼠径ヘルニア以外の相談は、ほかの医療機関を紹介することで、売上を失うことになる。

次に、すべてが私一人にかかっている。
私が倒れれば、手術は止まる。
経営の言葉で言えば、典型的な属人化だ。

今は、後継者を置かなくてもいいと考えている。
私が手術を続けられなくなったら、このクリニックはそこで終わる。
その覚悟はしている。

それでも今は、一人でやるリスクを引き受けたうえで、属人的なやり方を貫いている。
人を増やせば、診療の質が下がるかもしれない。
それを防ぐことのほうが、今の私には大切だ。

代償を知ったうえで選ぶことと、知らずに選ぶことは違う。
見ないふりをせず、引き受けるものとして書いておく。

社会的なインパクトは、大きさだけで決まるのか

先輩の言葉に戻りたい。
一人で手術していては、社会的なインパクトは出ない。

影響の広げ方は、組織を大きくすることだけではないと思うようになった。

一つは、結果を公開することだ。
再発率や合併症率、日帰りで帰宅できた割合を、開院当初から公開してきた。
数字があれば、患者さんが医療を選ぶ材料になる。

もう一つは、技術を人に伝えることだ。
私は、内視鏡外科技術認定医を目指す医師の手術指導に関わってきた。
指導した医師は、それぞれの病院で手術をしている。
私が執刀しない手術にも、少しずつ届いていくものがある。

組織を大きくすれば、影響は横に広がる。
一つのことを深めれば、影響は別の道筋で伝わっていく。
どちらが正しいということではない。
私は後者を選んできた。

大きくするかどうかは、目的から決まる

クリニックは大きくすべきか。
開業を考える医師なら、いずれ向き合う問いだと思う。

私の答えは、規模は目的ではない、ということだ。
何を守りたいかが先にあり、規模はそのあとで決まる。

多くの患者さんを受け入れることを守りたいなら、大きくする意味がある。
複数の医師で診療を支える体制を守りたいなら、組織が必要になる。
私の場合は、一つの病気を深め、一人ひとりに自分自身が向き合うことを守りたかった。
だから、範囲を絞り、小さいままでいることを選んだ。

規模の問いは、件数や拠点の数だけの問いではない。
何を診るかという、幅の問いでもある。

数ではなく、一人を。
拡大ではなく、深化を。

クリニックの方針として掲げている言葉だが、私にとっては経営判断の基準でもある。

まとめ

先輩外科医から「組織のことを考えろ」と言われた。
その言葉は正しいと思う。
規模を大きくするかどうかも、何度も考えてきた。

それでも実際に選んできたのは、診療の範囲を絞ることだった。
虫垂炎やヌック管水腫の手術をやめ、鼠径ヘルニアに特化した。
一つに絞ったからこそ、診療全体をその病気に合わせて磨くことができた。

1日3件という線は、手術室の外まで含めて目が届く範囲から決めた。

代償もある。
収益には天井があり、すべてが私一人にかかっている。
それでも今は、人を増やして質が低下するのを防ぐことのほうが大切だと考えている。

クリニックを大きくするかどうかに、一つの正解はない。
先に決めるべきは、何を守りたいかだ。
私の場合、その答えは、広げることではなく、専門を絞って質を研ぎ澄ますことだった。

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この記事を書いた人

松下 公治のアバター 松下 公治 ヘルニア外科医

医療法人博文会理事長・埼玉外科クリニック院長
内視鏡外科技術認定医(ヘルニア)
執刀5,500件以上(うち鼠径ヘルニア2,500件以上)
外科医と経営者の両面から、日帰り手術のあり方を問い続ける

プロフィール詳細

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