医師の仕事の核心は、正解を出すことではない。
正解のない判断を、自分の言葉で引き受けることだ。
正解を探していた頃
外科医になりたての頃、私は正解を探していた。
この症例に、最善の術式は何か。
この患者さんに、最適な説明は何か。
この判断に、正しい答えは何か。
どの問いにも、正解があると思っていた。
そして、その正解を出すことが医師の仕事だと思っていた。
知識を増やし、経験を積めば、
いずれ迷わずに答えを出せるようになる。
そう信じていた。
その確信が少しずつ揺らいでいくまでに、
長い時間がかかった。
正解を用意する医療は、医療を前に進めた
これまでの医療は、
正解を用意することで機能してきた。
標準を決める。
ルールを定める。
例外を減らす。
このやり方は、医療の安全性を大きく押し上げた。
ガイドラインが整備され、
エビデンスが蓄積され、
医師による判断のばらつきは減った。
誰が担当しても、一定の水準の医療が受けられる。
それは患者さんにとって、何よりの安心だ。
正解を用意する医療は、
確かに医療を前に進めてきた。
そのことは、今も疑っていない。
正解が一つに定まらない
だが今、医療が直面しているのは、
正解が一つに定まらない状況だ。
たとえば、標準治療がある。
ガイドライン上は推奨とされ、医学的にも合理的だ。
だがそれを選べば、
通院の頻度は増え、
体力は削られ、
生活の自立が崩れるかもしれない。
治療としては正しい。
だが、その人の暮らし全体を見たとき、
本当に最善と言い切れるかは分からない。
こうした場面は、今の医療では珍しくない。
患者さんの背景は多様になり、価値観も分かれている。
医療者の働き方も変わり、制度は複雑になっている。
その中で、
「これが正しい」と言い切れる判断は、むしろ減っている。
正解を出そうとするほど、
どこかが噛み合わなくなっていく。
日帰り手術が突きつけた問い
日帰り手術に取り組むようになってから、
私はこの問いを、より鮮明に意識するようになった。
この患者さんに、日帰りは適切か。
その判断に、完全な正解はない。
全身状態。
自宅の環境。
家族の支え。
本人の希望。
それらを重ね合わせ、その都度、判断する。
同じ手術でも、条件が一つ変われば答えは変わる。
昨日の判断が、今日の患者さんにそのまま当てはまるとは限らない。
ガイドラインは参考になる。
だが最終的には、
この人に、今、何が最善かを、
自分の言葉で引き受けるしかない。
そのとき気づいた。
私が向き合っていたのは、正解を出す医療ではない。
判断を引き受ける医療だった。
判断を支えるとは、「しない」を決めること
判断を支える医療とは、
何かを新しく増やすことではない。
むしろ、意図的にしないことを決める医療だ。
判断を急いで終わらせない。
分からないことを、善意で隠さない。
患者さんの言葉を、都合よく同意書に置き換えない。
チームの違和感を、効率の名で切り捨てない。
どれも、やろうと思えば簡単にできてしまうことだ。
そして、やってしまえば物事は早く進む。
だからこそ、しないと決める必要がある。
こうした選択を重ねることで、
判断の質は、かろうじて守られる。
正解を渡す医療と、何が違うのか
正解を出す医療は、答えを渡すことで完結する。
この治療が最善です。
この方法が標準です。
それは分かりやすく、患者さんも安心する。
判断を支える医療は、違う。
どんな選択肢があるのか。
どこまでが医療として譲れず、
どこからが価値観の問題なのか。
その地図を描き、患者さんと共有する。
それが医師の専門性だと、今は考えている。
最終的な決断は、引き受ける。
だが、そこに至る思考は、できる限り共有する。
判断を一人で抱え込まない。
しかし、手放しすぎない。
その緊張の中に立ち続けることが、
判断を支える医療の姿だ。
経営者になって、判断の重さが変わった
経営者として医療を見るようになってから、
この感覚はさらに強くなった。
ドラッカーは『経営者の条件』の中で、
意思決定とは判断であり、
正しいか誤りかの選択であることはまれだと書いている。
経営の判断も、診療の判断と同じだった。
正解が用意されていることは、ほとんどない。
正解を出そうとすれば、
すべてを自分が決めなければならない。
それは重たく、長くは続かない。
判断を支えようとすれば、
チームが要る。
仕組みが要る。
設計が要る。
だが、それらが「人が考えること」の代わりになってはならない。
仕組みは、考える余地を奪うためではなく、
考える余地を残すためにある。
すべてを決めきらない。
余白を残す。
問いを閉じない。
その不安定さを引き受けること自体が、
医療の質の一部になる。
なぜ、正解を求めていたのか
振り返ると、
正解を探していた頃の私は、
判断の重さから逃げていたのかもしれない。
正解があれば、責任の輪郭がはっきりする。
正解があれば、迷わずに済む。
正解があれば、誰かに委ねることができる。
正解は、判断する者を守ってくれる。
だから、欲しかったのだと思う。
医療はこれから、さらに難しくなる。
判断は増え、正解は減り、負荷は高まる。
それでも、だからこそ、
医療は人の仕事であり続ける。
正解のない判断を引き受けること。
それが医師の仕事の核心だと、今は考えている。
まとめ
正解を出そうとする医療から、判断を支える医療へ。
その転換は、一日で起きたものではない。
数千件の手術。
開業という選択。
経営者としての迷い。
その積み重ねの中で、
少しずつ確信に変わっていった。
正解を用意する医療は、医療の土台をつくった。
その上で、正解の決まらない場面に向き合うことが、今の医師の役割だ。
判断を一人で抱え込まず、
しかし、手放しすぎない。
その緊張の中に立ち続けることが、
外科医として、経営者として、
私が今も引き受けている覚悟だ。
