理想が現場で空回りしたのは、理想が間違っていたからではない。
理想を支える構造が、まだなかったからだ。
良い医療をすれば、経営はついてくると思っていた
開業した当初、私はひとつの確信を持っていた。
良い医療をすれば、すべてはうまくいく。
丁寧に説明する。
患者さんの生活を考える。
一人ひとりに誠実に向き合う。
それさえ守っていれば、
経営は後からついてくる。
どこかで、そう信じていた。
その確信が揺らぎ始めるまでに、
そう長い時間はかからなかった。
病院勤務のころ、経営は別の世界の話だった
病院で働いていた頃、
私は経営をほとんど意識していなかった。
安全であるべきだ。
患者さんのためであるべきだ。
医師として誠実であるべきだ。
これらは疑う余地のない価値であり、
日々の手術と病棟の中で、
あらためて立ち止まって考えるものではなかった。
診療報酬、病床稼働率、利益率。
そうした数字は、
自分の仕事とは切り離されたところにあると思っていた。
良い手術をする。
安全な医療を提供する。
それが自分の役割で、
経営は誰かが引き受けてくれるものだった。
振り返れば、
私は組織に守られた場所で、
理想だけを語っていられたのだと思う。
理想は、掲げるだけでは守れない
開業して、その前提は静かに崩れていった。
理想は、掲げるだけでは守れない。
丁寧な説明には、時間がかかる。
時間を生むには、人が要る。
人を支えるには、組織が要る。
組織を続けるには、経営が要る。
理想の後ろには、
必ずそれを支える構造がある。
病院では、その構造が
自分の見えないところで動いていた。
開業して初めて、
それを自分でつくらなければならない立場になった。
構造のないまま理想だけを積み重ねると、
現場は少しずつ、思うように動かなくなっていく。
「良い医療をしているのに」という問いの誤り
開業して間もない頃、
ある感覚が現場に漂い始めた。
良い医療をしているのに、なぜか噛み合わない。
誰かが手を抜いていたわけではない。
むしろ、全員が誠実に働いていた。
説明には時間をかけていた。
患者さんの生活を考えていた。
一人ひとりに向き合っていた。
それでも、どこかに無理が溜まっていった。
いま思えば、私の問いが間違えていた。
「良い医療をしているのに、なぜ」ではない。
「その良い医療を、続けられる形にしているのか」。
問うべきはこちらだった。
問いが違えば、
いくら考えても答えには届かない。
善意は、医療を守り続ける力にはならない
良い医療が続かない理由は、
医療の質そのものにはなかった。
良い医療が、
個人の善意と使命感の上に乗っていたこと。
そこに原因があった。
誰かが頑張る。
誰かが無理をする。
誰かが黙って引き受ける。
その場では、それで成り立つ。
だが、それは再現できない。
その人が疲れ切れば、質は保てなくなる。
その人が去れば、積み上げたものは続かなくなる。
善意は、医療を始める力にはなる。
だが、医療を守り続ける力にはならない。
開業してから、
私がもっとも痛みをもって学んだことのひとつだ。
経営は、理想と対立するものなのか
医療の世界では、
経営という言葉は理想と対立するものとして語られやすい。
数字を追う。
効率を求める。
コストを管理する。
それらは医療を冷たくするものだと、
受け取られることが多い。
だが、私が経験したのは逆だった。
経営を後回しにした医療のほうが、
かえって理想を守れなかった。
経営とは、価値を捨てる作業ではない。
どの価値を、どの順番で、どこまで守るのか。
それを決め続ける作業だ。
すべての理想を同時に、最大限に満たすことはできない。
だからこそ、何を優先し、何を仕組みで支えるのかを選ぶ。
その選択を引き受けることが経営なのだと、
今は考えている。
理想を、仕組みに翻訳する
理想を現場に残すには、何が必要なのか。
開業してから、私はこの問いを何度も立て直した。
たとえば、丁寧な説明。
それを「時間をかけて頑張る人」に背負わせ続けるのか。
それとも、説明の骨格を資料として切り出し、
誰が担当しても一定の質になる形をつくるのか。
どこまでを標準にするのか。
どこを仕組みに任せるのか。
どこを人が引き受けるのか。
この線引きを曖昧にしておくと、
無理は必ず、いちばん誠実な人のところに集まる。
目の前の患者さんに向き合うのと同じ重さで、
向き合い続けられる形をつくることが求められる。
理想は間違っていなかった。
足りなかったのは、理想を引き受ける設計だった。
続かなければ、理想はなかったことと同じになる
続かなければ、理想はなかったことと同じになる。
冷たく聞こえるかもしれない。
だが、私にとっては戒めに近い言葉だ。
日帰り手術も、
患者さんへの丁寧な説明も、
生活を起点にした医療の設計も。
どれも、理想を諦めるための工夫ではない。
理想を現場に残すための試みだった。
理想だけでは、医療は続かない。
だが、理想を手放した瞬間に、医療は別のものになる。
この矛盾を、どう引き受け続けるのか。
それが、
外科医であり経営者でもある立場に
突きつけられた問いなのだと思う。
まとめ
理想だけで経営していた頃、
現場は少しずつ立ち行かなくなっていった。
誰も間違ってはいなかった。
間違っていたのは、
理想を個人の善意に預けたままにしていた、私の設計だった。
その経験が教えてくれたのは、
理想を諦めることではない。
理想を、現実に耐えられる形に翻訳すること。
それが、
経営者として医療に関わる私なりの意味だと、
今は感じている。
