数字を見ないことは、医療を守ることではなかった。
見えていないものを、見ていないだけだった。
数字は、別の世界の話だった
外科医として働いていた頃、
私は数字にはっきりと距離を置いていた。
診療報酬。
稼働率。
利益率。
どれも、自分の仕事とは別の世界の話だと思っていた。
良い手術をする。
安全な医療を提供する。
それさえできていれば、数字は誰かが何とかしてくれる。
そう信じていただけではない。
数字を気にする医師を、どこか冷めた目で見ていた。
お金の話をする医師は信用できない。
効率を語る医師は、患者を見ていない。
数字を見ないことが、医師としての純度を保つことだと、
どこかで思っていた。
医療と数字は、なぜぎこちないのか
その感覚は、まったくの間違いではなかったと思う。
医療と数字の関係は、確かにぎこちない。
数字を持ち出した瞬間、
「冷たい」「人を見ていない」という空気が生まれる。
患者を診るのが医療であり、
数字を見るのは医療ではない。
そう感じている医療者は、今も少なくないはずだ。
私自身、その空気の中で育ち、
その空気を自分の誇りのように抱えていた。
開業して、数字が目の前に現れた
だが開業し、医療を続ける側に立ったとき、
数字は避けて通れないものとして目の前に現れた。
勤務医の頃、数字を見なくて済んだのは、
誰かが代わりに見ていてくれたからだ。
その誰かが、自分になった。
数字を見ないという選択は、理想的に聞こえる。
だがそれは同時に、医療の行き先を他人に委ねるという選択でもあった。
そう気づいたとき、一つの問いが立ち上がった。
数字を見ないことは、本当に患者のためなのか。
数字を見ないことも、一つの判断である
もし数字を見ないまま、無理な体制が続いたらどうなるか。
現場から余裕が消える。
小さな綻びが、誰にも気づかれずに積み重なる。
そしてある日、医療そのものが続けられなくなる。
それは、医師として誠実と言えるのだろうか。
数字を見ないことは、判断を保留しているのではない。
見ないと決めた時点で、それ自体が一つの判断であり、
一つの倫理的な選択になっている。
そう考えるようになってから、
「数字を見ることは、医療から離れることだ」という感覚は、
静かに変わり始めた。
検査値と経営の数字は、よく似ている
考えてみれば、私たち医療者は日常的に数字を扱っている。
血圧。
採血データ。
画像所見。
それらは、患者そのものではない。
数字だけで人を診ることは、決してできない。
だが、それらを無視して医療を行うことも、できない。
検査値は結論ではない。
診断の代わりでもない。
それでも、仮説を立て、問いを深めるためには欠かせない材料だ。
経営の数字も、それと同じだと今は思っている。
数字に映るもの、映らないもの
数字は、現実を切り取る。
人の感情も、努力も、葛藤も、そこには映らない。
だから数字だけで医療を語れば、必ず歪む。
だが、数字を完全に排除すれば、別の歪みが生まれる。
忙しさが一時的なものなのか、構造的なものなのか。
無理が個人の問題なのか、仕組みの問題なのか。
それらは、感覚だけでは見分けにくい。
数字がなければ、
医療が続いているのか、危うくなっているのかすら分からない。
数字を、問いを立てる言語として使う
医療者が数字を嫌う理由の一つは、
数字が善し悪しを裁く道具として使われてきたからだと思う。
儲かっているか。
効率がいいか。
生産性が高いか。
その文脈で数字を見れば、医療は確かに窮屈になる。
だが、数字を問いを立てるための言語として使えば、意味は変わる。
なぜ、この説明にこれほど時間がかかるのか。
なぜ、ここに無理が生じているのか。
なぜ、続けにくくなっているのか。
数字は、その「なぜ」に輪郭を与える。
数字は結論ではなく、出発点に置く
経営者として医療に関わる中で、
私が最も意識するようになったのは、数字を結論にしないことだ。
数字は、スタート地点に置く。
数字が示す違和感を、現場の言葉に翻訳する。
そこで初めて、医療としての判断が始まる。
売上が落ちている。
残業が増えている。
問い合わせが増えている。
それらは、誰かを責めるための材料ではない。
どこに無理があるのかを考えるための、手がかりだ。
数字は、医療の敵ではない。
だが、数字が目的に置かれた瞬間、医療の敵になる。
患者のため。
現場のため。
続けるため。
その目的を見失わなければ、数字は医療を守る側に立つ。
まとめ
数字を見ることを、医療から離れることだと思っていた頃、
私は数字から目を背けることで、何かを守っているつもりだった。
医師としての純度。
患者に向き合う姿勢。
自分が信じてきた医療のかたち。
だが実際には、見えていないものを、見ていないだけだった。
数字を見ることは、医療を諦めることではない。
医療を続けるために、現実を知ることだ。
その感覚を持てるようになってから、
経営者としての判断は、少しずつ地に足がついてきた。
