手術を教えるとは、任せる範囲を決め、その範囲の中では手を出さずに待つことだ。
待てるのは、待てない線を先に決めているからである。
手術指導も、山選びと同じだった
以前、「自分に合った山を選ぶということ」という記事で、登る山は人それぞれでいいと書いた。
そして、登り始めた人のそばには、見てくれる人がいたほうがいいとも書いた。
先回りしすぎれば、本人の手は育たない。
任せきりにすれば、迷わせてしまう。
その加減が最も問われる場面の一つが、手術指導だと思う。
私はこれまで、内視鏡外科技術認定医を目指す医師たちの手術指導に関わってきた。
山登りなら、道を外れても引き返せることが多い。
手術では、そうはいかない。
手術台には、患者さんがいる。
教える側は、二つの責任を負っている
手術指導には、二つの責任が重なっている。
一つは、目の前の患者さんへの責任だ。
指導の場であっても、その方にとっては一度きりの手術である。
誰が手を動かしていても、手術に責任を持つのは指導する側だ。
もう一つは、育てる医師への責任だ。
経験を積む機会がなければ、外科医は育たない。
外科医が育たなければ、その先の患者さんに手術を届けられなくなる。
どちらか一方だけなら、話は簡単になる。
患者さんのことだけを考えれば、すべて自分で執刀すればいい。
育成だけを考えれば、すべて任せればいい。
その両方を同時に引き受けるのが、手術指導だと考えている。
任せる範囲は、手術の工程で区切る
では、どこまで任せるか。
手術を丸ごと任せるか、任せないか。
そう二択で考えると、答えは出にくい。
手術は、いくつもの工程の積み重ねでできている。
だから私は、工程ごとに区切って考えるようにしてきた。
最初は、見る。
次に、助手として手術に入る。
それから、工程の一部を執刀する。
最後に、全体を執刀する。
一部を任せるときも、比較的定型的な工程から渡していく。
判断の難しい工程は、その後だ。
こうして区切ると、任せる範囲を少しずつ広げられる。
本人にとっても、いま自分がどこにいて、次に何を目指すのかが見えやすくなる。
同じ手術でも、任せる範囲は人によって違う
同じことを教えても、伸び方は一人ひとり違う。
早く形になる人がいる。
時間をかけて、確かな技術にたどり着く人もいる。
ある工程は得意でも、別の工程で長く足踏みする人もいる。
だから、任せる範囲を年次や経験年数だけでは決めない。
基準にするのは、その人の現在地だ。
全員を同じペースで進めることは、公平に見える。
だが実際には、ある人には遅すぎ、ある人には速すぎる。
山の記事で書いたことと同じだ。
違いを認めることは、優劣をつけることではない。
その人に合った登り方を選ぶための出発点になる。
手を出さずに待つことが、いちばん難しい
指導する側にとって、いちばん難しいのは待つことだ。
迷っている手元を見ていると、代わりたくなる。
代わったほうが早い。
自分でやったほうが、気持ちも楽だ。
だが、そこで代わってしまえば、本人は迷い方を学べない。
迷い、考え、自分で次の一手を選ぶ。
その過程を経なければ、手は自分のものにならない。
私自身も、若い頃に待ってもらった時間があった。
口を出したくなる場面で、指導医が黙って見ていてくれた。
当時は気づかなかった。
あれは見守る側にとって、相当に忍耐のいる時間だったはずだ。
指導する立場になって、その重さがようやく分かった。
待てる線と、待てない線を先に決めておく
ただし、待つことは放っておくことではない。
待てるのは、待てない線を先に決めているからだ。
ここまでは本人の判断に任せる。
ここを越えたら、交代する。
その線は、患者さんの安全を基準に、手術の前に決めておく。
そして、できるだけ本人とも共有しておく。
線が決まっていれば、その手前では落ち着いて待てる。
線が曖昧だと、不安から早く手を出しすぎるか、逆に判断が遅れる。
見守る覚悟とは、我慢の話ではない。
線を引く責任の話だと思う。
交代は、評価ではなく判断だ
線を越えれば、交代する。
そのとき気をつけているのは、交代を本人への評価にしないことだ。
交代されると、多くの医師は自分が否定されたように感じる。
私もそうだった。
だが、交代は能力への烙印ではない。
その場面で、患者さんにとって何が望ましいかという判断にすぎない。
だから、交代したら理由を言葉にして伝える。
どこで、何が起きて、なぜ代わったのか。
手術の後に、落ち着いて話す。
理由が分かれば、交代は次に生かせる経験になる。
理由が分からなければ、悔しさだけが残る。
手術が終わってから、指導が始まる
手術中に伝えられることには、限りがある。
本当の指導は、手術が終わってから始まると思っている。
腹腔鏡手術には、映像が残るという利点がある。
内視鏡外科技術認定医の審査も、手術映像をもとに行われる。
映像を一緒に見返すと、手術中には見えていなかったものが見えてくる。
迷った場面で、何を見て、何を考えていたのか。
私がまず聞くのは、本人がどう感じたかだ。
先に私が答えを言ってしまうと、本人は自分の手術を、自分の言葉で振り返れなくなる。
本人の言葉を聞いてから、私の見方を重ねる。
その順番を大切にしている。
どの山を目指すかは、本人が決める
技術認定医を目指すかどうかも、本人が決めることだ。
認定医は、一つの山だと思う。
目指す価値のある山だが、すべての外科医が登るべき山ではない。
ほかの領域で力を発揮したい人もいる。
手術以外の道に、自分の山を見つける人もいる。
指導医にできるのは、登ると決めた人に、ルートと足元を示すことだ。
どの山に登るかまで、決めることではない。
まとめ
手術を教えるとは、二つの責任を同時に引き受けることだ。
目の前の患者さんへの責任と、育てる医師への責任である。
任せる範囲は、手術の工程で区切る。
そして、その人の現在地に合わせて広げていく。
任せた範囲の中では、手を出さずに待つ。
待てるのは、待てない線を先に決めているからだ。
線を越えたら交代し、その理由を言葉にして伝える。
見守る覚悟とは、黙って耐えることではない。
線を引き、その線に責任を持つことだ。
私もかつて、誰かに待ってもらいながら手術を覚えた。
今度は私が、待つ側に立っている。
