外科医が自分で情報を発信する必要があると思い、書き始めた。
書き続けるうちに、書くことは、自分の判断を確かめる方法になっていた。
始まりは、手術を選ぶ材料が見えないことだった
このブログを始めたのは2016年、開業する6年前だ。
当時は、病院に勤める外科医だった。
手術を受ける人が知りたいのは、どの医師が、どんな方法で手術をするのかだと思う。
だが、病院のホームページから、一人ひとりの医師の顔は見えにくい。
私自身も、学会や論文で手術を語ることはあったが、それは医師に向けた言葉だった。
手術の説明は、執刀する本人が書く意味がある。
そう考えて書き始めた。
その経緯は「クリニックのホームページを院長が自作した理由」にも書いた。
ここで書きたいのは、始めた理由ではない。
書き続けている理由だ。
手術は、言葉にしなくてもできてしまう
書き始めて、すぐに気づいたことがある。
自分のやっていることを、私はうまく言葉にできなかった。
手術は、言葉にしなくてもできてしまう。
手が覚えているからだ。
何度も繰り返した動きは、考える前に体が動く。
だが、言葉にできないものは、確認もできない。
なぜこの手順なのか。
なぜあの場面で、そう判断したのか。
書こうとすると、手が止まることがあった。
できることと、わかっていることは違う。
書くことで、その差が見えるようになった。
書いてみて、考えていなかったことに気づく
文章を書くと、論理の穴がそのまま現れる。
頭の中では、筋が通っているつもりでいる。
いざ書き出すと、話が途中で飛んでいる。
前提だと思っていたことが、確かめていない思い込みだったりする。
鼠径ヘルニアの手術と入院について書いたときも、そうだった。
入院は「安全のため」だと、私は書こうとした。
だが、その安全が誰のためのものなのかを、うまく説明できなかった。
患者さんのためと言いながら、自分たちの安心のためでもあったのではないか。
書こうとしなければ、その問いには気づかなかったと思う。
書いては消し、また書く。
その過程で、自分が本当は何を考えていたのかが、少しずつ見えてくる。
私にとって、書くことは、考えたことを写す作業ではなかった。
書きながら、考えている。
文章は、考えた結果ではなく、考える場所だった。
判断は、あとから書くと形が見える
このブログの名前は「外科医と経営者としての判断」だ。
手術中の判断は、短い時間で下す。
その場では、理由を言葉にしている余裕はない。
あとで書いてみると、その判断の背景が見えてくる。
何を優先し、何を手放したのか。
自分がどんな基準で選んでいたのか。
2022年に開業し、経営者にもなった。
判断の種類は、一気に増えた。
人のこと、お金のこと、仕組みのこと。
どれも、医学部では教わらなかったことだ。
正解のない判断が増えるほど、書く必要も増えた。
書いておけば、次に迷ったときに立ち返る場所になる。
読まれる前提が、言葉を正直にする
ここに書く文章は、公開している。
同業の医師も読む。
患者さんが読むこともある。
読まれる前提があると、言葉が変わる。
都合のいい言い訳は、書いた時点で自分でも気づく。
大きな言葉で飾っても、中身がなければ伝わらない。
だから、わかっていることと、わかっていないことを分けて書く。
迷いも、できるだけそのまま書く。
書いた内容は、そのまま自分の診療を映す鏡にもなる。
書いたことと、やっていることがずれていれば、書いた本人が一番よく気づく。
公開して書くことは、自分の診療に約束をすることでもあった。
ここに書いているのは正解ではない。
一人の外科医の、判断の記録だ。
書き続けるのは、うまく書けないからだ
10年書いてきても、書くことは楽にならない。
一本書き終えると、書ききれなかったことが残る。
その残りが、次の問いになる。
手術と似ていると思う。
件数を重ねても、完成はない。
わかったと思った先に、わからないことが増えていく。
うまく書けたと思える日が来たら、たぶん書くのをやめてしまう。
うまく書けないから、書き続けている。
書いたものは、未来の自分への記録になる
ときどき、昔の記事を読み返す。
今とは考えが違うものもある。
言い切りすぎていると感じるものもある。
事実の誤りは直す。
だが、考えが変わったことまで消そうとは思わない。
何を考え、どこで考えを改めたのか。
それが残っていること自体に、意味がある。
外に向けて始めたブログは、いつの間にか、自分の判断の履歴になっていた。
まとめ
このブログは、外科医が自分の言葉で発信するために始めた。
書き続けるうちに、書くことの意味は少し変わった。
書くことは、伝えることであると同時に、考えることだった。
言葉にすると、自分の判断が見える。
見えれば、確かめられる。
確かめられれば、次の判断に生かせる。
だから、これからも書く。
判断を言葉にし続けることが、外科医としても経営者としても、自分を確認する方法だと思っている。
