人を診ることには慣れていた。
自分を診たのは、経営者になってからだった。
外側ばかりを診てきた
外科医として20年以上、私は人を診る仕事をしてきた。
患者さんの状態を把握する。
問題を特定する。
最善の治療を判断する。
それが、私の仕事だと思っていた。
医療法人を設立し、経営者になったときも、同じ姿勢で臨んだ。
市場を見る。
競合を分析する。
組織の課題を洗い出す。
目を向けていたのは、いつも外側だった。
「自分を、まったく診ていない」
あるとき、ふと気づいた。
私は、自分自身をまったく診ていない。
患者さんを診るときは、あれほど丁寧に所見を取る。
組織を見るときも、数字や人の動きを細かく追う。
それなのに、自分のこととなると、
何も確かめないまま判断を重ねていた。
自分が何に強く、どこで判断を誤りやすいのか。
それを、私は知らなかった。
経営には、診断という工程がある
経営には、現状を把握する工程がある。
数字を見る。
人の動きを見る。
どこにボトルネックがあるかを探る。
いわば、経営の診断だ。
正確な診断なしに、正しい治療はない。
それは手術室でも、経営の場でも変わらない。
では、自分自身の診断を、私はしていたか。
答えは、否だった。
立ち止まり方を知らなかった
振り返れば、外側だけを見続けてきた理由は単純だ。
それが、医師としての仕事だったからだ。
患者さんのために。
チームのために。
組織のために動く。
自分のために立ち止まることは、
どこか後ろめたいことのように感じていた。
いや、正確に言えば、
立ち止まり方を知らなかったのだと思う。
自己分析は、若い人の道具だと思っていた
自己分析という言葉がある。
就職活動でよく使われる言葉だ。
私はそれを、キャリアの入口で一度やるものだと思っていた。
あとは、経験を積み重ねていけばいい、と。
経営者になって、その考えは崩れた。
事業を正確に把握するように、
自分という存在も正確に把握しなければならない。
そうでなければ、どこに向かって経営するのかが定まらない。
自己分析は、一度で終わるものではなかった。
経営を続ける限り、問い続けるものだった。
自分を知るとは、何を知ることか
自分を知るとは、長所を並べることではない。
短所を認めることでもない。
自分が何に動かされ、何に疲弊し、
何をしているときに時間を忘れるのか。
どんな場面で力を発揮し、
どんな環境で判断が鈍るのか。
それを、ありのままに見ることだ。
誰かに見せるためではない。
自分の判断に使うためだ。
思い込みではなく、所見で診る
患者さんを診るとき、私は主観では判断しない。
「おそらくこうだろう」ではなく、
「これはこういう状態だ」と言えるまで診る。
自分を診るときも、同じ姿勢が要る。
自分はこういう人間だ、という思い込みは、あてにならない。
見るべきは、実際の行動の癖や、判断の傾向、感情の動きだ。
所見を取るように、できるだけ客観的に自分を見る。
それが、自分自身の診断だと、今は考えている。
自分という組織を、経営する
自分を診るようになって、一つの考え方に行き着いた。
自分という存在を、一つの組織として捉え、主体的に運営し続けること。
私はそれを、自己経営と呼んでいる。
組織の経営と同じで、自己経営にも完成はない。
自分は変わり続ける。
自分を取り巻く環境も、変わり続ける。
だから、診断も、進む方向も、立ち位置も、
定期的に見直し続けるしかない。
その見直しを続ける営みそのものが、自己経営だと思っている。
まとめ
医療法人の経営を始めて、私はようやく自分を診察台に乗せた。
遅かったかもしれない。
それでも、始めなければ何も見えないままだった。
自分を知らないまま、人生という組織を動かし続けること。
それがどれほど非効率で、どれほど消耗するものか。
経営者になって、初めて分かった。
人を診るように、自分を診る。
その習慣が、すべての判断の出発点になる。
