迷ったとき、私は一つの問いに戻る。
自分が患者だったら、どうしてほしいか。
迷ったとき、最後に戻ってくる問い
判断に迷う場面は、毎日のようにある。
手術室では、術式や手順の選択に迷う。
経営の場では、何を始め、何をやめるかに迷う。
材料を集め、選択肢を並べ、それぞれの利点と欠点を比べる。
それでも決めきれないとき、最後に戻ってくる問いがある。
自分が患者だったら、どうしてほしいか。
この問いを、意識して掲げてきたわけではない。
振り返ってみると、大事な判断のほとんどが、ここから出ていた。
この問いは、手術を受ける側の目線から生まれた
病院に勤めていた頃、気になっていたことがある。
外来で診察した医師と、実際に執刀する医師が違うことがある、という現実だ。
大きな病院では、それが自然な仕組みでもある。
多くの医師が分担するからこそ、多くの患者さんを診ることができる。
それでも、自分が手術を受ける側だったら、と考えた。
話を聞き、説明をしてくれた医師に、そのまま手術をしてほしい。
少なくとも私は、そう思う。
クリニックを開いた理由の一つは、外来の主治医と執刀医を、自分自身で一致させるためだった。
大きな決断の根にあったのは、この素朴な問いだった。
入院も、成績の公開も、根は同じだった
開業してから、いくつもの判断を重ねてきた。
鼠径ヘルニアの手術に、入院は必要か。
手術の成績を、公開するか。
術式を、何を基準に選ぶか。
その都度、別の問題として考えていたつもりだった。
だが振り返ると、どれも同じ問いから出ていた。
自分が受けるなら、その日のうちに家に帰れる選択肢がほしい。
自分が選ぶなら、実際に受けたらどうなるのかを、数字で知りたい。
自分が手術台に乗るなら、医師の得意ではなく、自分にとって望ましい術式を選んでほしい。
一つひとつの判断は、別々の記事に書いてきた。
並べてみて初めて、それが自分の判断の背骨だったと気づいた。
経営の判断にも、同じ問いを向ける
この問いは、手術の判断だけに使うものではない。
経営の判断にも、同じ問いを向けるようにしている。
説明は、どの順番で聞きたいか。
待つ時間は、どこまでなら受け入れられるか。
手術の日、何を知らされていれば安心できるか。
効率だけを見れば、答えは別のところにあることもある。
だが、受ける側から見直すと、優先すべきことが変わる。
経営の判断は、数字で語られることが多い。
その数字の向こうに、一人の患者さんの一日がある。
この問いは、それを思い出させてくれる。
「自分なら」は、ときに独りよがりになる
ただ、この問いには危うさもある。
私は医師だ。
手術の流れも、合併症の意味も知っている。
患者さんと、まったく同じ立場に立つことはできない。
自分なら気にならないことが、患者さんにとっては大きな不安であることがある。
自分なら選ぶ方法を、望まない人もいる。
説明の場面が、分かりやすい例だ。
私が手術を受けるなら、合併症の種類も頻度も、できるだけ数字で聞きたい。
数字があれば、自分で判断できるからだ。
だが、数字を聞くほど不安が膨らむ人もいる。
細かな数字より、まず全体の流れを知りたい人もいる。
同じ説明が、ある人には安心になり、別の人には重荷になる。
「自分だったら」と考えるうちに、
いつのまにか、自分の好みを患者さんの望みと取り違えてしまう。
この問いは、答えを出してくれるようでいて、
半分しか答えてくれないのだと思う。
問いの後に、目の前の人に聞く
だから、問いの後に、もう一つの手順を置いている。
目の前の人に、聞くことだ。
自分ならこうしてほしい、と考えた答えを、
本人の言葉で確かめる。
私なら、早く手術を受けて、早く終わらせたいと考える。
だが、仕事の区切りを待ちたい人もいる。
家族の予定に合わせたい人もいる。
どちらが正しいということはない。
決めるのは、本人だ。
「自分が患者だったら」は、考え始めるための問いだ。
答えを決めるのは、目の前にいる患者さんである。
患者さんの立場は、一つではない
一口に患者さんと言っても、その立場は一つではない。
長く仕事を休めない人がいる。
家族の介護を担っていて、家を空けにくい人がいる。
初めての手術で、何より不安が大きい人もいる。
同じ病気、同じ手術でも、望むことは人によって違う。
だから、「自分が患者だったら」と考えるとき、
その「自分」を一人に固定しないようにしている。
もし自分が、別の仕事をしていたら。
別の家族を抱えていたら。
想像の範囲を広げるほど、問いは独りよがりから遠ざかる。
答えではなく、立ち返る場所として
この問いは、規則ではない。
当てはめれば答えが出る公式でもない。
経営者として、続けるための判断を優先しなければならない場面もある。
外科医として望むことと、経営者として選ぶことが、ぶつかることもある。
それでも、迷ったときに戻る場所があることには意味がある。
戻る場所があれば、判断がぶれても、どこでぶれたかに気づける。
戻る場所がなければ、その時々の都合に流されていく。
私にとって、その場所がこの問いだった。
まとめ
迷ったとき、私は一つの問いに戻る。
自分が患者だったら、どうしてほしいか。
入院の要否も、成績の公開も、術式の選択も、
振り返れば、この問いから出ていた。
ただし、この問いは半分しか答えてくれない。
医師である自分は、患者さんと同じ立場には立てないからだ。
だから、問いの後に、目の前の人に聞く。
想像の範囲を広げ、本人の言葉で確かめる。
答えを決めるのは、問いではない。
問いは、立ち返る場所だ。
