医療を変えるのは、制度ではない。
目の前の判断を引き受け続ける、一人ひとりの積み重ねだ。
医療は制度から変わるのか
「医療を変えるには、制度を変えなければならない」
そう言われることが多い。
制度が変われば、診療報酬が変わる。
診療報酬が変われば、現場が変わる。
現場が変われば、医療が変わる。
この論理は正しい。
制度の力は大きく、現場はその枠の中で動いている。
だが、現場に立ち続けていると、
もう一つの流れが見えてくる。
制度を待たずに、現場の側から変わっていく流れだ。
私は制度を変えようとしていたわけではなかった
私が鼠径ヘルニアの日帰り手術を始めたのは、2017年のことだ。
制度を変えようとしていたわけではない。
医療のあり方に一石を投じようと考えていたわけでもない。
目の前の患者さんに、
もっと誠実な判断をしたかった。
ただ、それだけだった。
だが結果として、
その判断の積み重ねが、
クリニックの形をつくった。
患者さんの選択肢を広げ、
スタッフの働き方も変えた。
振り返ってみると、
変化は意図して起こしたものではなかった。
判断を引き受け続けた先に、
気づけばそこにあった。
変化を誰かに委ねると、話は止まる
医療を変える主体として、よく挙げられるのは三つだ。
行政。
医療者。
患者さん。
それぞれに役割があり、期待もある。
だが現実には、
どれか一つに変化を委ねた瞬間、
話は止まってしまう。
制度が変わらないから。
現場が忙しすぎるから。
患者さんが理解してくれないから。
どれも、もっともな理由に聞こえる。
そして同時に、どれもが変わらない理由にもなっている。
誰かが動くのを待っている限り、
自分は動かなくて済む。
委ねるという行為には、
そういう心地よさがある。
大きな変化は、現場の判断から始まっていた
医療の歴史を振り返ると、
大きな変化の多くは、
制度の改正よりも先に、
現場の誰かの判断から始まっていた。
インフォームドコンセントが制度に書き込まれる前から、
説明の大切さを信じて実践し続けた医師たちがいた。
チーム医療という言葉が広まる前から、
職種の壁を越えようとした現場の人間が、
一つひとつ関係を積み重ねてきた。
制度は多くの場合、
すでに現場で起きていた変化を、
後から追いかけて形にする。
変化は、制度から降りてくるのではない。
現場から積み上がっていく。
変化に主人公はいない
医療が少しずつ変わるとき、
そこに決まった主人公はいない。
ある外科医の判断。
ある看護師の工夫。
ある患者さんの選択。
それらが互いに影響し合いながら、
静かに形を変えていく。
後から振り返って初めて、
「あのとき、少し変わった」と分かる程度の変化だ。
派手ではない。
評価されにくい。
記録にも残りにくい。
だが、その積み重ねだけが、
医療を確実に前へ動かしてきた。
医療を変えるのは誰か
医療を変えるのは、
声の大きな誰かではない。
正解を知っている誰かでもない。
目の前の判断を、今日も引き受けている人間だ。
それが医師であっても、
看護師であっても、
事務であっても、
患者さんであってもいい。
問われているのは、立場ではない。
どの判断を、どこまで引き受けているかだ。
判断を引き受けるとは、何かを失うことだ
判断を引き受けるとは、何かを得ることではない。
何かを失う行為だ。
時間を失う。
楽を失う。
誰かに委ねることで得られる安心を失う。
制度のせいにしない。
忙しさのせいにしない。
結果がどう転んでも、自分の責任として引き受ける。
だから、判断を引き受け続けることは、
英雄的な行為ではない。
とても地味で、評価されにくく、
消耗することの方が多い。
それでも引き受けるかどうか。
そこに、医療が変わるかどうかの分かれ目がある。
これから求められるのは、判断を支える力
これからの医療に求められているのは、
正解を示す力よりも、
判断を支える力だと私は考えている。
選択肢を整理する力。
前提を言葉にする力。
不確実性を共有する力。
これらは、制度が与えてくれるものではない。
現場の一人ひとりが、
日々の判断の中で育てていくものだ。
経営の立場に立って、なおさらそう感じる。
仕組みを整えることはできる。
だが、判断そのものを肩代わりすることはできない。
まとめ
医療を変えたいと思うなら、
制度を待つ必要はない。
目の前の判断を引き受けることから、変化は始まる。
その判断が小さくても、
地味でも、
誰にも気づかれなくても、
積み重なるとき、医療は静かに形を変えていく。
医療は、制度ではなく、
現場の一人の判断から変わってきた。
そしてこれからも、
その一人から始まると、私は信じている。
